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この日は、故郷に戻っておりました。
私は、故郷に戻ったときの楽しみの一つにしている“散歩”に出かけました。 瀬戸内の内地側にある港町は、 大抵どの町も山と海の自然を楽しむことができます。 私は夜中になってから、山手にある田園地帯へと出かけました。 旅の友には、幼馴染を一人。 片手には、懐中電灯。 街灯のない夜道を散歩するのは、 私が故郷で愛している唯一の娯楽です。 * 夜空には、満天の星空が広がっておりました。 涼しげな夜風は澄み、夏の気配をわずかながら含んでいるようでした。 私たちは小一時間ほど山のふもとへ向けて歩いてから、 畦(あぜ)道に腰を下ろしました。 懐中電灯の明かりを消せば、頼りになる明かりは星の光だけ。 田植え前の湿った泥の上を、さわさわと夜風が吹き抜けると、 それに反応した蛙(かえる)たちが、があがあと合唱いたします。 他には何もない、そんな取り残されたような寂寥感すら覚える場所で、 私たちは、他愛もない会話を続けました。 何気ない会話の途中で、彼は「思い通りの人生にはならなかった」と申しました。 親元を離れることを反対され、地元の国立大学に奨学金を受けて通い、 今は地元で地方公務員として日々暮らしている彼。 私としましては、彼は私の知人の中でも立派だと言える友人の一人です。 絵に描いたように、とは言いがたいかもしれませんが、 それでも知人でいられることに、ささやかな誇りは感じております。 彼は親の面倒を見ることを、大学に入る前から決めておりました。 「じゃあ、思い通りの人生とは何だったんだい」。 私は訊ねました。 彼は「防衛大学校に通い、自衛隊の士官になりたかった」と、 微かに笑いながら言いました。 幼い頃、大人は子供に「夢を抱け」と教えました。 それが、いつの間にか大人になるにつれて、「現実を見よ」に言葉が変わりました。 長男であり、その家の跡取りであることが彼の現実だったのでしょうか。 次男坊である私にとって、それは理解し得ない“理由”でした。 彼は、それ以上何も言わず、ただじっと黙って夜空を見上げました。 私は、「作家になりたかったよ」と言いました。 彼は笑って、そうだな、と答えました。 現在の仕事を愛しておりますし、仕事を続けながら創作活動も続けております。 目まぐるしく巡る日常生活の中で、それを忘れそうになるときもあります。 しかし、夢は夢。幻のごとく、忘れていくものなのかもしれません。 否、忘れねばならぬときもあるのかもしれません。 私たちは立ち上がり、歩いてきた道を戻り始めました。 昨年も、その前の年も、同じ会話をしていたようなデジャヴュを感じていました。 もしかしたら私たちは、 忘れるために、 忘れたということさえ忘れてしまうために、 こんな途方もない夜道の散歩で気を紛らわせながら、必死で生きているのかもしれません。 * 翌朝、私は故郷に戻らなければならなかった本当の理由、 逢わねばならぬ人の元へ足を運びました。 幼い頃お世話になった、二軒隣りに住んでいた老婦。 彼女は私が町を出てからも、 私のことを気にかけてくださっていたのだと、両親から耳にしました。 そんな彼女が、先の正月に圧迫骨折が原因で入院したとのこと。 そのとき以来記憶が曖昧になり、 幼い頃の記憶を除いては、ほとんど思い出せないのだと聞きました。 逢えば、もしかすれば記憶が戻るかもしれないから。 両親は私にそう言い、私はスケジュールを押して戻りました。 私が覚えていたのは、もう十年以上も前、幼い頃の記憶の中にある彼女の姿。 その頃の彼女は、手押し車一つでどこへでも出かけ、 やや背は曲がっていたものの、溌剌としておりました。 しかし、何年かぶりに逢った彼女は、ソファに体を埋めるように座り、 家族が私を紹介しても、「知らない」の一点張りでした。 私が、家族の方に近況を報告している間も、 まるで興味が無いかのように、洗濯物を畳んでおりました。 常に忙しく働いている彼女の姿だけが、昔の面影を残しているようでした。 私は自分が忘れ去られても、不思議と寂しいとは思いませんでした。 脳のオーバーフローについて考え、 いつかは忘れ去られていくもののほうが多くなることに気づきました。 また、私は彼女に、私のことを思い出してほしいとも思いませんでした。 寧ろ純化された記憶だけが残る限定された生活のほうが、 余生に相応しい生き方のように感じていました。 忘れたということさえ忘れるということを、ここまで強く実感したのは初めてでした。 そんな彼女の変わり様に、清清しい印象さえ抱いた私は、 感情的に何かが欠落しているのでしょうか。
by katefactory
| 2005-05-03 23:24
| 雑記
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